道具の使い方

Xをみていたら、「○○が海外で失敗したのに日本で導入されるのは利権だっ!」と声高らかに話してる人がいた。
しかし日本人の特徴として、新しいものが好きかつ、道具を手段ではなく、目的として扱うから、実に日本人らしい行動である。

パソコンが普及し始めたころ、初心者を対象にしたパソコン雑誌に、パソコンの購入をむやみに勧めるものがあった。何をするかという動機の重要性についても説明する記事も多いが、それでも購入を結論づけて仲間に引きずり込もうとする。結局目的がパソコンを使うことになってしまうのだ。
パソコンを使って目的を達するのではなく、パソコンを使うことが目的なのだ。
はっきり言ってしまえば、それは目的がないとの同じである。

道具とは目的を達するための補助の役割とするのに対し、道具そのものを目的とした場合、その先になにがあるのだろう?道具を目的とした後に、新しい目的が見えればそれで良いだろう。しかしそれが出来なかったとき、持て余した高価な道具に対価にみあった代償を求めるとどうなるのか。それは道具に使われたあげくの時間の浪費。それに気が付いたとき、道具をしまい込むのだ。これは目的がなかったときの喜劇だが、明確な目的があればより道具は有効な手段となってくれる。

趣味趣向は人それぞれだろう。最初の頃は試しに使ってみたりもしても、飽きればうっとうしいだけに感じる事はよくある。例えばWindowsやAdobeは、毎度うっとうしい機能を増やし、より重く、より使いにくい改悪を繰り返す。使うための道具に豪華な飾り付けをすることに何の意味があるのだろうか?その飾り付けのおかげで道具が持ちにくくなれば、それらをひっぺがしたくなるのは当然ではなかろうか。

飾り付けが増えるに従って、道具は道具でなくなっていく。目的は目的ではなく道具は目的であり目的は道具となる。他人が道具をどうしようと勝手だが、そのおかげでお飾りの道具が増えて、ひっぺがして磨く作業に無駄な労力を使わなければならなくなる。見た目はきらびやかに光っているが、切れ味はおままごとの包丁と同レベル。磨かないとまったく使えない道具ばかり増えていく。

が、見た目の豪華さというのは、初心者を騙して買わせるのという使い道があるんだよね。

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