学校や塾は年間にどんな授業を組むかというカリキュラムが必要ですが、塾や専門分野の場合、毎年かなり流動的になっています。
それは年々状況や技術の変化によって、常に新しいモノを取り入れなければなりません。さらに受験やコンピューター。政治経済状況に関りを持つ分野といった流動的な分野の場合、何を教えればいいのかわからない状況が、常に発生する恐れがある……というか、プロ教師でさえ何を教えるのかサッパリ…になりやすいので、アメーバーもびっくりな流動性が必要となります。
基本部分、アメーバーの核となる部分は、各科共通の一般知識、そこだけはそれほど流動的ではありません。何をやるにしても、最低限の一般常識がなければ、どんなに卓越した能力を持っていようと、役に立てる状況まで持っていくことは出来ません。最低限の一般常識とはそれほどハードルの高いモノではありません。普通に生活していれば身に付くはずのものです。それでもあえて教えなければならない人間がいるということです。
核の大きさはそれほど違わなくても、全体から見た大きさは、各個体によって異なります。あとは栄養の摂取量の問題です。そこで栄養のとりやすい授業編成を行うわけですが、それが問題です。
授業編成は、学生の傾向が重要になります。目的を達成させるということが重要なわけですが、どんな目的かによって、最適なカリキュラムは異なります。そこに塾や専門分野は問題に当ります。
学生は何のために学校や塾に入ってくるのでしょうか?目的はバラバラです。つまり学生によって異なるのです。その状態で最適なカリキュラムなどあろうはずがありません。
入学時に多いのが、どこそこに合格する。どこそこに就職する。というものです。しかしはっきり言ってしまえば、方法や技術だけ覚えても、その希望は100%無理だということです。
学校や塾で教えられるのは方法だけです。方法はきちんと授業に入っています。しかし方法なら社会に出てから身につけても、それほど時間がかかるものではありません。少し研修や勉強を受ければ、方法を身につけていきますし、社会においては中学や高校の教科書を広げながら仕事をする必要がある場合もあるのです。では何が必要かといえば、基本です。
ここで言っている基本というのは、才能以前の問題です。才能以前とは、本格的に人間が形成される小学校の6年間に入るまでに、親は子供に何をしてきたのか。ということです。
例えば…パソコンを使ったことはないが絵のうまい人と、パソコンは毎日使って得意だが絵が下手な人がいるとして、パソコンでうまい絵を描かせるとすると、どちらがはやくものになるでしょう?当然前者です。後者は永遠に使い物にならない「かも」しれません。ツールの使い方を知っているだけでは、チンパンジーの描いた絵にも劣るのです。
ある程度のベースが出来ていない人間に、いかに方法を教えようと、ものになるはずがありません。わかりやすい例として、ゲーム系の専修学校(例:代々木アニメーション学院)等は、良い噂が一つも聞こえてきません。結局ツールの使い方だけ教えて、どこにも就職出来ないということになるのです。
安定が欲しいから子供を公務員にしたいと思っても、親が何もしてこなかった子供にベースがあるはずがありません。学校や塾に行けば一から教えてくれるだろうと思っているのです。テキストを買えば受かるだろうと思っているのです。確かに一から教えます。それは寸分の間違いもありません。十必要だったとして、終わるころには二になっていることでしょう。一から始めたらそうなるのは当然です。
有名高校の場合、大学に合格が出来るカリキュラムとなります。確かにカリキュラムを見れば、そう出来るように組まれています。
その更にピンポイントな道に行きたい(東大に行きたい、官僚になりたい)という学生のために、専門の授業や対策講義はやります。でも重要視されていないので、通常のカリキュラムに比べればゴミ同然です。
ときどき才能のある子供はいます。しかしそれがごく一部のため、全体のカリキュラムに、そのための授業を組み込むことは出来ません。独学するしかないので、学校や塾に頼るだけ無駄です。しかし余暇を利用して独学するには時間が短すぎます。結局、当たり障りのない学校や職、結婚につくのです。実はそのほうが幸せなのかもしれませんが。
講師はきちんと教えられない理由を、学ぶ側と保護者の責任にしているわけです。本当は、もっと効果的に教える方法はあるのかもしれませんが。
6大学もしくは、有名企業や公務員・官僚に入るためだけの勉強を子供にさせて、試験に行かせる親が居たとします。もし3回やって駄目なら、才能以前ということがはっきりします。その時は、その子でなく、親が進退を決めるべきだと思います。

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