[番外編]セリスのはじめてのインターネット
今や皆さんの生活や、PSO2でも密着しているインターネット。
今ではインターネットで旅行の予約。買い物。ビジネス。患者カルテのやり取り。教育など、様々な分野に進出しており、
日々多くの人に影響を与えています。
そんなインターネットですが、私はそれよりもっと前の時代。
光通信なんて言葉も技術も無かった頃の時代。
パソコン通信やワープロ通信の時代からの付き合いだったりします。
その当時の事をこれまであまり話す事もありませんでしたが、
あえて、I’amセリスには書かず、
透火さんは相変わらず小説は更新しないし(本業が忙しいからなんですけどね……)
先月はお正月を除き一度もラクエン通信を書かなかったので、
その当時の事から、インターネットの仕事を始めるまで。そして今思う事を書きたいと思います。
■きっかけ
ワープロ通信の存在を知ったのは、小学校の頃でした。
パソコンは当時でもありましたが、1980年代はまだパソコンはそれほど普及はしておらず、
当時市販されていたワープロで、電話回線を使って、通信をしていました。
使えたサービスは、電子メールのサービスとチャット。掲示板の閲覧と書き込み程度しか使えないサービスでしたが
当時から「お弁当の楽しい献立」とか「街の安売り情報」とか「ファミコンゲームの攻略裏ワザ情報交換」まで
今と変わらぬ話題でワイワイガヤガヤと盛り上がっていました。
しかし当時小学生だった私は、本屋さんの雑誌でそういう物を観て「へぇ~…」と思う位で、
まさかその10年以上後に日常のように使うなど、全く想像もしていなかった事でしょう。
■Revolution No.8
それから少ししてでしょうか。フジテレビの深夜に「Revolution No.8」という番組が始まりました。
この頃になると、通信回線を利用したデータ交換サービスが自由になり、パソコン通信プロバイダが急増した頃です。
同級生の皆は男女問わず「ギルガメッシュないと」を観ていた頃、私は「Revolution No.8」をみていました。
さて、この「Revolution No.8」とはどういう番組かと言うと
カミモジャという仮想の国を作り、視聴者と一緒に情報をやり取りしたり、情報を検索したり
有名人の肉声データを視聴者がダウンロードして、そのデータを基にソフトに組み込み、
視聴者が好き勝手な歌を歌わせる企画(今でいうボーカロイドの原型)があったりしました。
また当時通っていた塾の先生も、パソコン通信でバーチャ2の技表をくれたり、ストZEROで豪鬼やダンのコマンドを教えてくれて、友達より早く使ったり…
今にして考えれば大したことの無い内容ですが、それまではファミ通とかゲーメストとかコロコロコミックとかの紙で育っていた訳で
その世界の凄さに圧倒されたのです。もうそれは、とんでもなくガツンとやられたのです。
そんなパソコン通信の世界からやがて、windows95の登場以降、多くのブロバイダがインターネットサービスを始めて
いよいよ、インターネット時代に突入していきます。
そんな中、学校の先生の勧めで
「船橋情報ビジネス専門学校」でパソコンの基礎を学んでみないか?と紹介を頂きました。
なんというタイミングでしょう。「もっとインターネットの世界に浸りたい!」
そんな不純な動機から、矢も盾もたまらず応募しました。
当時はゲームに関わる何かとは考えており、表向きは「ゲーム制作」と話してましたが、
具体的には何をしたいのかが判らず、ただ、答えも出ず悩んでいた記憶があります。
考えてもみてください。
本屋さんに行けど街の小さい本屋にはそういう専門書は無く
パソコンの専門書がある所に行けどパソコンは無く
学校で周りの目を盗んでちょこちょこと触っているレベルです。
もうそれは泣きたい気分になるわけです。
面接試験の時どう受け答えしたのかも。
鴨川で行われた学生研修の記憶も。
今は記憶からすっぽり抜け落ちてます。
2年目に入り、皆が就職活動に明け暮れる中、私はインターネットの世界で様々な情報を観たりやり取りをして
それはそれは膨大な文化や情報に浸っていました。
学校の授業でホームページの作り方位は判りましたし、その頃はBASICや、情報処理の授業で
どういう仕組みで動くのかと言う根っこの部分を学びましたが、結局一番勉強になった事で今も役に立っている事は、
「お客様に必要とされる人となるためにどうしたらよいか。」でした。
結局就職活動らしい就職活動はほとんどせず
柏のゲームセンターや、NEWDAYSやタイトーのゲーセンにてPC周りやインターネットの事を
アルバイトとして細々とやって行き、やがてAEONに入社するのですが
相当な狭き門だったと思いますが、SPI心理テストで落とされてしまいました。
それ以降入社時に心理テストを要求してくる会社は一度も受かった事がありません。
そんなぼんやりとした毎日の中、何気なく手に取った情報雑誌で
「インターネットでバナー広告を扱うお仕事をやってみませんか?」
という求人広告を見て、しかも当時はあの探偵ファイルと
出会い系サイト「恋する探偵」を(当時は)共同運営していた、船橋にあったインターネット広告代理店「アクシブ / インセンス」でした。
■アクシブ / インセンス での日々
私が当時行っていた業務は、アダルトゴシップ誌と共同運営している、出会い系サイトの広告サイトの運営業務で
1からサイトを作ったわけではなく、ブログやWordPressに代表されるシステムを使って簡単に処理や売り上げ管理が出来るもので運営されておりました。
そのシステム上で、バナー広告を張り替えたり、バナーやロゴの制作依頼を出したり、自分でバナーを作成したり、営業の売り上げ進捗をつけたりと言った物からはじまりました。
そしてアフィリエイトとか基本的な仕組みを理解して、時々私がプロのライターさんに変わって広告文章を書く事もありました。
最終的には、事前に会長逮捕の噂を聞きつけ、適当に退職理由をでっち上げて
赤坂警察が会長を逮捕する一週間くらい前に退職しました。
現在は、当時お世話になった部長が小岩で新会社を立ち上げたり
(セリスの事務所名ジーベックは、こちらから拝借させていただいております。)
出会い系のシステムを販売していた部門も別会社を立ち上げているようです。
しかし、今になって振り返ると、ここで学んだ基礎的な部分は実に得難く今でも役に立っており、また事務方や電話対応や来客応対も積極的に行い、
本当に贅沢な体験をさせていただいたなぁと思います。
■会社を転々とするセリス
私はプログラムが書けません。しかし、この「アクシブ / インセンス」での出会い系の仕事は、私には衝撃的な事の連続でした。
「自分がまず進むべきはコレだ。」
次に勤めた会社は新大久保で、ECサイトのシステムを使った「インターネットを通しての情報商材の販売」。
ほとんどクレーム処理を押し付けられましたが、そのクレーム処理の大変さやサイトに文字が足りないだけでどれだけ大変な騒ぎになるかがわかりました。
次に勤めた会社は秋葉原駅で「ツーショットダイヤルの宣伝サイト制作やシステム保守(アラート発生時の各種報告。レポート作成)」
サーバーが一時的にでも落ちる事がどれだけ大変か。得意な事や経験が違い過ぎる人が集まり、まとまりがつかない状態では良い仕事は出来ない事。
気分や我儘で会社や事業の方向を変えてはいけない事を学びました。
次に勤めた会社は池袋で、やはりwebサイト運営システムを使っての「換金できるポイント(今でいう仮想通貨)サイト運営とSEO業務」
社長が経営理念と方向性を持って計画を立てて運営していく事が大事である事。
営業上がりの人や代行営業上がりの人が社長になるのは、現在で言うブラック企業の原因の一端である事を学びました。
以上の通り、アダルト世界や商材販売を中心に、色々な業務を幅広く。沢山の人と相談したり連携したりしながら、自分の基礎知識を積み上げていきました。
■そして電子コミックの世界へ。しかし…
スマートフォンやタブレットが私達の生活に徐々に馴染んでいく中。
私は少しずつ善人方面への脱却を考えていました。
その時見つけたのが、UN2Bという会社との出会いでした。
そこはエーギアホールディングスと言う巨大なグループの中の一つの会社で
各会社の取次や、業務のお手伝い。そして、電子コミックの配信(システムはレンタル)を行っておりました
しかし、そこの社長が電通上がりの営業畑であったり、上司との価値観の相違。エーギアのグループを支配していた方それぞれと、
考え方のそりが合わず、最終的にグループ会社のインフォレストが倒産をした後に、私も社長も退職しています。
もう時効だから話してしまうと、インフォレストは「中條寿子」さんが編集長として腕を振っていた時から、すでに赤字だったことが
あちこちの同業他社や取引先、個人からダダ漏れしていました。ダダ漏れが知らなかったのはマスコミ位です。
経理の人はサークル活動をしている認識だったのでしょうか。印刷コンサルティング料やキャバ嬢の接待代金で
小悪魔ageha黒字でも会社は大赤字という状態で、社内でそれを知る人はごく僅かでした。
正直中にいた人間としては、物を作る事。売る事。サービスを作る事。運営する事。人財。
グループの人幹部役員含めてほぼ全員が
「サークル活動と勘違いをしている」
「電子レンジでチンするのと同じ感覚ですべての物事を考えている」
という感じでした。
その時私はヒマックスと言う電子コミックと他に、現在は閉鎖している「モバスペスクール」
(リンク先はPDFファイルとなりますのでご注意ください)
のバナーの差し替えや、毎月の特集記事を自分で作成したりしましたが、
日本ドリコム様も、掲載されている僅かな学校様も非常に非協力的で、
私としても憤りを隠せない記事を幾つも作らされました。あれをみて、資料を請求した学生さん。ごめんなさい。
最終的にホールディングスすべてで大喧嘩が発生。モバスペスクールは閉鎖。
この経験で私は非常に多くの教訓を得たと思います。
この企業でのつらい体験が、その後私をeラーニングの世界に導くのでした。
■ちゃんとしたい。
私がデジタル・ナレッジという会社に入社を決めたのは
まさに、このインフォレストとUN2Bとエーギアホールディングスでの体験です。
「一回でいいからちゃんと物作りをしたい。ちゃんとした運営に関わりたい。」
こんなことを面接で話した記憶があります。といっても、実際は現在のCOOと人事のどつき漫才を30分見せつけられて、
質問やりとりは何も発生しなかったんですが。
■インターネットで見る教育や学習と言う視点
私が所属した部署は「プラットフォーム事業部」という「基幹システムの開発を行う部署でのサポートデスク及びそれに付随する業務、周りとのやり取り」でした。
ここでの2年間は非常に濃密な2年間でしたし、多くの知識を得て、また考え方も変わりました。
デジタル・ナレッジは、「知識」がよりわかりやすく効果的に、より自由に地域や時間の制限なく、人から人へ流れる知識流通を実現し、
知的で豊かな知識流通社会を構築することを目指し、「育つ喜びを、すべての人へ」をスローガンに活動しています。
その中でシステムの使い方がわからない方へのメール・電話でのサポートや、ライセンスコードの発行。
他部署への情報伝達。レポートの作成。デバッグ検証。時にはお客様操作研修の講師も行いました。
東京ビックサイトや有楽町で行われる展示会にも行きました。
しかし、沢山の業務に追われているうちに、私自身が色々とストレスがたまり(何せ私に他の人の業務が全部のしかかる便利屋扱い。その癖評価はされない。)
まぁ、事業部長との反りもあいませんでしたが、そこは気にしてません。
やがて「またwebサイト作りとか運営の仕事がやりたいなぁ…」と
退職を考えるようになりました。
社員に登用されるゴールが不明瞭だったのが一番の理由です。
業務の習得度とかそういう物になるんでしょうが、小さい目標やロードマップが組み立てられない中での業務は非常に辛かったです。
しかし、そんな中でも忘れなかった事があります。
この会社は入社時に会社の方向性を理解するための「グリーンブック研修」と言う物があります。
(グリーンブック(PDF)のダウンロードはこちら)
そこで皆で話し合い、社長との話で印象に残った大事なことは
船橋情報ビジネス専門学校で最初に学んだ
「お客様に必要とされる人となるためにどうしたらよいか。」そこに戻ったのでした。
■今だから話すんですけど…
熊本で大きな震災があった翌日です。
お取引先である、こちらのお客様から使用方法に関するお問い合わせが来ました。
最初にニュースを観た時、真っ先に浮かんだのがこちらのお客様でしたが、サポートと言う立場から
お客様にお問い合わせをするわけにもいかず、その日は凄い落ち着かなかった記憶があります。
そんな中何事も無かったかのようにお問い合わせが来て、しかも文面は普通でしたので、最初にメールを見た時
ほっと大きく息をついたことは今でも忘れられない出来事です。
サポートのお問い合わせの文面の中に
・震災を心配していた事。
・私の知り合いは無事が確認できました。
・皆様お疲れでないですか?的な文章。
・余震に気を付けてください。
こちらを添えて送りました。上司や先輩や事業部に怒られるのも覚悟で。
そして帰ってきた返事は「暖かいお言葉、ありがとうございました。」
と、私の物差しで考えれば普通な事ですが、こういう対応が出来たのは私くらいだったらしく
事業部からも「ありがとう」と言われました。
別のお客様に至っては
「セリス様が一番誠意を持って対応してくれており、セリス様が対応していただけたからこそ、使い続けられました。」
と言われたりもしました。
他の先輩が事業部と対応した案件で炎上した際、とにかく今言える事だけを丁寧に説明し謝罪した時も
お客様は待ってくださり、営業の方も構えて対応することが出来たので、本当に判りにくい所で
色々な人の役に立っていたんだなぁと思います。
操作研修の時も、事前に営業の方にお客様の事前情報を伺い
研修内容を調整。私の場合は実際の業務に近い形で説明するだけでなく
合間合間にこんなお問い合わせがよくあるベスト3等。
少しゲームも入れて飽きないように教えていた記憶があります。
こういう対応本当はクレームに発展しやすいのでタブーなんですが、
持ち時間は長いですし、本質的にはなんだかよくわからないeラーニングと言う物を扱う訳ですから
なるべく実際に起きやすい例。よくやらかす事を実例を交えながら話して
私なりに、判り易いというよりも、未然に防ぐためにできる事を考えていました。
退職の時に、お世話になったお客様と社内の何人かに出した退職のメールは、印刷して今も大事にとって置いています。
会社に恩を売る気も、砂をかけて喧嘩を売る気も無いですが、
お客様に感謝をされる仕事がしたいというエンジニアさんは、人材募集まで。是非是非お話を聞きに行ってみてください。
元社員として、何卒よろしくお願いします。
■そして人材派遣会社へ
そして私は人材会社のweb担当となります。そこで直接お世話になった上司から色々な事を教わり
まさにこれからという所で大問題が発生し、退職となりました。
今でも悔しいですし、悔いも残りますし、もっとたくさんの事を教わりたかったですし
(丁度広告運用やディレクション心得について教えてもらっていたから)
キッカケになった社長や専務は許せないですし…
直接お世話になった上司で一番驚いたのは、睦月透火さんの事も気にしてくれている事でした。
あの方とまた一緒に仕事がしたいです。
ここでの事は色々と書けない事も多いので、お許しください。
ただ、頁を作ったりインターネット広告を出稿したりなど、
これまで観てきた物や体験した点と点が線になって繋がっていく瞬間がはっきりと見える仕事でした。
■これから・・・
この後私は、インターネットとどのような道を歩むのでしょうか。
平成と言う時代も終わりを告げようとしてますし、
私自身もこれまでの職歴だけでなく、「とある天空の城」「時の楽園」「YouTubeチャンネル開設」「ニコニコ動画アカウント発行」「ライブ配信」
順不同で揚げましたが、前身の個人サイトも長年続けていましたので、色々な物に接近しました。
しかし、どれもこれも、結局最後に残ったのは
「お客様に必要とされる人となるためにどうしたらよいか。」
しかしその結果、私自身が潰れて、ニート引きこもりと言うブラックホールに吸い込まれるのか。
結局企業に良いように利用されて潰されてしまうのか。
それとも人材派遣会社の上司の時のようなすばらしい人との出会いがあるのか。
それとも自らがあまりにも無い物ねだりをしすぎたのか。
私自身がこれまでいた会社の事を語る事はもう少ないでしょう。
ただ、私自身が10代の多感な時期に、毎日がジェットコースターのような世界を味わうきっかけとなったワープロ通信。パソコン通信には感謝していますし、
インターネットサイトの運営管理という仕事の基礎を教えてくれた「アクシブ / レバレンス」には、とても感謝しております。
こうして私の土台として残っている事にも感謝していますし、睦月透火さんと「時の楽園」を運営している事も無かったと思います。
「お客様に必要とされる人となるためにどうしたらよいか。」
期待に応えられたお客様と会社にも、応えられなかったお客様と会社にも、
ただ感謝の気持ちで一杯です。
私はまだ生きていますし、
来週の水曜には面接が控えています。
私も鬱病が落ち着いてきたので、そろそろ息を吹き返したいです。
とはいえ、もうここまで企業都合転職が増えてしまっては、実際の実力抜きで死神と言うレッテルが貼られている事でしょう。
それでも私は、このインターネットの世界のどこかで生きていくつもりでいます。