鈴木裕さんのこと。
お久しぶりです。偽透火です。ネタがないのか、それともエヴァコラボで何かネタを書くのか判りませんが、透火さんがここ暫く投稿してくれないので、私、偽・睦月透火が、睦月透火さんに変わって、筆を執りたいと思います、
今から19年前。
2000年12月21日、SEGAの家庭用ハード。ドリームキャスト用ソフトとして、Phantasy Star Online2の祖先であるPhantasy Star Onlineが、SEGAソニックチームからリリースされました。
日本で初めて成功した家庭用ゲーム機用オンラインゲームと言える作品で、インフラも整っていない当時(テレホーダイとかの時代です)タイトルに「Online」が付いていたものの、オフラインでも遊べるチューンナップがされており、今のように、例えオフラインモードが存在しているとしても、ネットワークに接続してプレイしないと本格的に楽しめないのとは対称的でした。
その初代Phantasy Star Onlineの一年前。
1999年に、「シェンムー 一章 横須賀」が発売されました。
皆さんがプレイされている、Phantasy Star Online2や、他社作品でこそ当たり前にはなりましたが、発売当時としては、膨大な量のオブジェクトに対して何らかのリアクションを取れるのは画期的なことで、例えばPhantasy Star Online2の中である自然現象(強風・雨・降雪など)が起きただけでも衝撃的な物でした。(スティーブン・スピルバーグ監督がサインをねだったのは有名な話です。)
膨大なモーションによるリアルな演出。
街をぶらつく脇役まで声のある完全フルボイス。
町並み、キャラクター、イベントシーン。
天候の変化。
朝から夜に至るまでの時間の経過。
登場人物が日々を営む世界観。
これらが当時全て実現されたうえに、建築設計士、ハリウッド、スタジオジブリなど多種多様な場から人材を起用したため、空前の大規模プロジェクトとなりました。
Phantasy Star Onlineもシェンムーも、フラグ式のアクションRPGではありますが
SEGAとして、
F(ull)
R(eactive)
E(yes)
E(ntertainment)
を謳っているのも納得です。
ソフトの結果としては、プレイステーションを意識しすぎたことと、あまりにも大きくし過ぎたプロジェクトが原因で、現在も未完の作品ではありますが、この時に確立された技術は同じSEGAでは「Phantasy Star Online」「龍が如く」他社作品では「モンスターハンター」「ファイナルファンタジー」等。様々な作品で開花されていきました。
2Dの作品はグラフィッカーの腕に非常に左右されるのですが、3Dの場合はグラフィックの制作が容易になり、使い方さえ間違えなければ、非常に有用な手段となりえるという証明になりました。
この「シェンムー」の産みの親であり、「バーチャファイター」の産みの親でもあり、その後の全てゲームに影響を与えた「鈴木裕」さん。
もし、ご存知でない方がいらっしゃいましたら、是非、お手元にとって、そのドラマをお楽しみください。