回答の無限延期

せりフリの「46億年物語」でも書きましたが、物事は無限に回答を延期する事により成立します。信仰していてもトラブルに見舞われた場合、まだ信仰がたりないからだ。という文法で様々な危機を乗り越えていきます。

基本的に今現在Twitter界隈を賑わせているものの大半が、この回答の無限延期に成功しています。勿論延期の仕方は人によって様々ですが(クラウドファンディングが足らない。お客様が足らない。努力が足らない。評価が足らない。マスク不要論が足りない…)なまじ誰かが予言を的中したり、病気を治したり、万馬券を当てたりするだけでは成立しないのです。

先日、タレント兼エンジニアの堀江貴文さんがとある餃子店に立ち入った際、入店時にマスクをするように求められて、質問を繰り返して餃子店店主につまみ出されていました。その後、ムカついた堀江さんが店名が分かるようにFacebookに主張を書き記し、それを読んだ人たちが餃子店に電凸などを繰り返して休業に追い込むという事件がありました。

これ自体は分解して考えると、また世の中が回答の無限延期に騙される流れが増えてきたのかなと考えているのです。田端信太郎さんしかり、鴨頭嘉人さんしかり。

今回の堀江貴文さんのケースの場合は、大前提としてコロナウイルスがありました。日本政府と小池都知事と何より中国があそこ迄頭が悪いとは思いませんでしたが、これはもう神のお導きです。その後、緊急事態宣言による全国的な行動「自粛」を経て、コロナに対する不安を拭い去れない人たちと、コロナ感染症は風邪程度のものでインフルエンザほどの死者を出さないのだから、経済を止めるべきではないという人たちとのバトルも繰り広げられました。この滑稽な光景に私は大笑いしました。やはり日本語は美しい。「濃厚接触者」「飛沫感染」。日本民族独特の言語感覚ですよね。

そしてそしてアメリカに至っては11月3日のアメリカ大統領選を控えるトランプ大統領のように「感染症よりも生活が大事なのだ」と主張し、アメリカではトランプ大統領を支える共和党支持者の多い州がコロナ感染者数の圧倒的上位を占めます。公共の利益が色濃く出るような問題においてもなお、個人の判断、個人の行動に対する自由と権利を主張する人たちが多いのです。

堀江貴文さんの一件にしても、店の立場からしたらマスクによる効果があるかないかにかかわらず、感染症に配慮していない店舗営業をしているという風評が出るのはマイナスだと考えれば、入店から食事までの間はなるだけマスクをしていてほしいと思うでしょうし、万が一感染症が出た、クラスターになった、という話がひとたびでれば、一時営業停止では済まないレベルで大変な騒動になってしまいます。(自粛期間中にゲーセンやパチンコに通う人も、営業する側もこの辺の考えが欠落していたと思います。ま、気持ちはわかるけども。)

で、その後に「一体私の何が悪いというんだ!」っと言ってのける神経さえ持っていれば、世間は同情しますし、「田村正和ごっこ」も楽しめます。

尚、感染症対策にマスクをすることがどれだけ必要かという科学的根拠は全くありません。まぁ平たく言えば無自覚患者が体内から飛沫を介してウイルスを出さないようにするというマスク本来の使い方を国が強引に捻じ曲げて「マスクをすればウイルスが入ってこない」と演じてしまえばいいのです。見事に関係ありません。ジタバタしても太宰治のようになるだけです。

しかしながらあのデブ…じゃなくって堀江貴文さんのケースの場合、マスク着用の是非について餃子店の店主にまでクレームを入れ、過激な煽動をしながら個人主義を掲げて商売にし、「東京改造計画」「大学など学歴は不要」「スキを仕事にしろ」「会社員で我慢する必要はない」「まだ東京で消耗しているの?」など、腹を抱えて大笑いしてしまうような主張をしております。堀江貴文さんは、お笑い芸人にとても向いていると思います。面白過ぎます。

ま、もちろん堀江貴文さんも田端信太郎さんも鴨頭嘉人さんも何時までも続かないと思います。その時は何か適当に理由をつけて去ればいいのです。そうすれば無事天寿を全うしたと言えるでしょう。

ま、いずれにしても根拠不明瞭なエチケットマナーで自分1人に何かが起こるのではなく、他人に何かしらの影響が確実に出るような問題で、吉本新喜劇よりつまらないやりとりを繰り返すのは、控えたほうがいいのではないかと思います。

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