ワンダーボーイ / 高橋名人の冒険島

タイトル ゲーム画面 コンテニュー

ゲームタイトル メーカー 使用基板 稼働日
ワンダーボーイ ウエストン / セガ 1986年
ゲームタイトル メーカー ジャンル ハード
高橋名人の冒険島 ハドソン アクションゲーム ファミリーコンピュータ

本家はアーケード版です。

主人公のボーイがキングにさらわれた恋人ティナを救出するために奔走する横スクロール型アクションゲーム
コンテニュー有で、全8エリアの32ステージ構成です。(エリア8は隠し扱い)
各ラウンドには立て札が立っていて、ミスしたときは直前の立て札に戻されます。
画面上のバイタルゲージは道中の果物を取ると回復するが、ゲージが無くなったり、敵に当るなどするとミスになる。


パワーアップの方法について

道中に落ちているタマゴを割ると出現する斧やスケボーなどのアイテムを駆使してステージを進んで行く。
タマゴの中身は(オノ→スケボー→ミルク)の順番で変化する。
ミルクは体力回復で、その前のスケボーは一回だけダメージを防いでくれる。
しかし常に前進し続けるため、空中の制御はしやすいが、地上の操作は難しい。


正式ライセンスを受けて発売された冒険島

タイトル ゲーム画面 ハチ助

基本的なルールは変わらないが、隠しタマゴの追加。ボーナスステージの追加。BGMの追加等。
単なる移植ではなくなっている点が特徴。
ただしファミコン版の場合だと、スケボーに載っている間は隠しタマゴが出せないので、スケボーの扱いは微妙。
またファミコン版の場合、写真3枚目の1-1終盤の位置にある隠しタマゴ(ハチ助)を取ることでコンテニューが出来る。(最重要)


アーケードも家庭用もとにかく難易度が高い!

共通事項として、死なないという事をどこまで厳守できるかで難易度が大きく変わる。
アーケード版の場合だと、クリアでストックボーナスが1人5万点!それだけでなく、無敵アイテムが入っている卵が武器になってしまったら超悲惨!
またアーケード版では全ステージ人形の取り逃しを無く進めないと、エリア8には行けないのでまるまる損という形に。
家庭用の場合、前項で紹介したハチ助を取るのは勿論の事、隠しタマゴから、石斧の効かない障害物の岩などを破壊できる「ファイヤー」を取れるかどうかも重要なポイントとなる。
(放った攻撃が消える場所が隠しタマゴのありかで、そこでジャンプすると出現する。)
特に復活パターン構築を除くと最大の山場と言われる8-3ステージの通称「3匹のコウモリ」地帯の鬼畜さは、アーケード、家庭用揃って語り草とされている。(私もここで折れました)
特に2番目から3番目に跳ぶ時に出るコウモリ、こいつがとんでもなく強い。2番目に着地した直後、オノボタンを一瞬はなしてジャンプと同時に押すのが成功率が高いと言われております。が、最初の踏み切りも重要。
かなりギリギリでいくのが成功の秘訣です。最後に陸地に戻る時に焚き火がありますが、これはアイテムなのでびびらずにゴー。
とにかくギリギリの操作が要求される難易度。『ゲームセンターCX』でも当時のAD浦川さんが、その「3匹のコウモリ」地獄に苦しめられ、
ここだけで9時間かけてやっとクリア…
当時のアーケードスコアラーさえもかなり苦しめられた地帯なんですが…スコアラーでもなんでもない一般なスタッフの浦川さん…お疲れ様です…


言い伝え

ワンダーボーイ → 高橋名人の冒険島(ファミリーコンピュータ)
ワンダーボーイモンスターランド → ビックリマン(PCエンジン)
ファミコンでファンタジーゾーン・エイリアンシンドローム・スペースハリアー・アフターバーナー等がサンソフトやタカラ等で移植される…
とまぁ色々出ておりました。しかしこれらは元々セガがアーケードと自社ハードで出していたもの。
何故ファミコンやPCエンジンで出していたのか…。

家庭用ゲーマーの間でこんな言い伝えがあります。

良くも悪くもセガは「中山隼雄(元社長)商店」で、個人筆頭株主であり、全ての商品。全ての出店は、中山元社長の承認がないとゴーできない。
担当役員の決裁だけではダメというルールでした。
社員さんも何度か中山元社長の出席する様々な会議に同席するのですが、役員は例外なく「借りてきた猫」状態で、
面と向かって反論するのはむしろ若手社員でした。
かつてセガのハードがファミコンやPCエンジンに負けた時、ファミコンやPCエンジンで動くセガのソフトが何タイトルか作られ、
なんと、各ハードに挿すとセガのロゴが出たそうです。
しかし、中山元社長は「やっぱり他人に頭を下げるのは虫けらがやる行為だ!
と言ったため全ボツになったという経緯があります。
恐らくこれらはそのボツの遺産なのでは…というのが推測で伝えられております。
このように中山元社長は「武士は喰わねど高楊枝」的なプライドを持っていて、それがセガの社風でもあった訳です。
だから、何度負けても家庭用ゲーム機を作り続けたのです。

ところが時は流れ、亡き大川会長が何人か人を連れてきた事でセガ全体の空気は完全に変わり、全くの別会社状態に。
よって、ドリームキャストを持って家庭用ゲーム器市場から撤退。
実は当時すでに撤退発表前から一部のチームは、プレステやゲームボーイアドバンスのソフト開発をスタートしていたのだとか…


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