ダービーオーナーズクラブ

これの登場で、ゲーセンが大きく変わった。そんな気がした。

メインとサテライト サテライト カード

ゲームタイトル メーカー 使用基板 稼働日
ダービーオーナーズクラブ SEGA / ヒットメーカー NAOMI GD-ROM 1999年10月

ついに200回目突入!

みなさんおはようございます。こんにちは。こんばんは。セリスです。

やりました!
ついに
200回目です!

実際にちょっとカウントをしまして、1回に複数本取り上げたりとかもあったので、ちょっと数間違えてる可能性ありますが…延べ

アーケード183タイトル
家庭用94タイトル

と、本当に自分アーケーダーなんだなーって思います。
しかしこのタイトルの数も、『DS.T君』の協力もあったりするので本当に彼には感謝しております。

さて、そんな記念すべき今回ですが、私がゲーセン店員を始めた頃に流行っていたタイトルを紹介したいと思います。
実はこれ、判る人には判る理由でプレイはほとんどしてません。見る専門でした。大会やった時でも、その判る人には判る問題の馬で皆参加していたので、いやあ別の意味で緊張感あふれる大会でしたね。(笑)


と…とりあえずゲームの紹介をしましょうか。(笑)

ゲーム画面1 ゲーム画面2 ゲーム画面3

磁気カードでデーターを保存しながらプレイをする競馬ゲームです。カード一枚で馬一頭になります。
ダービースタリオンとかとまた違い、こちらは純粋に競走馬の育成とレースにのみ焦点を当てていたのが、普段ゲームセンターには来ない層のとっつきの良さでした。
そしてカードに保存ができるので、当時のDDREDIT譜面よろしく、そのデータさえ持っていれば全国のゲーム機で自分の馬を使用できるシステムが当時としては非常に斬新でした。大型の実況画面と各プレイヤーが座る4つ~8つ(メインモニターのテストモードで変更可能)のサテライト席があり、レースは実況画面で、調教はサテライト席で個々に行います。
まずプレイヤーはお金を投入し、パラメータを参考にしながら父馬と母馬を決めて自分の馬を作成。名前を決め、調教し、エサを与えて育成していく…という流れを踏みます。

調教には芝、ダート、ウッド、坂路(単走・併せ)とプールがあり、調教結果は完璧、大成功、失敗などの結果で判定。調教に成功すれば馬の能力が上がっていくのですが、調教の仕方で馬の脚質や能力の方向性が決まり、後々に影響を与えるので最初のうちは慎重に選定と調教行う必要があります。(まぁ1(2000)も2も逃げか差しの二択だった記憶が。)与えるエサは4種類あり、馬によって好き嫌いもあります。

ゲーム画面4 ゲーム画面5 ゲーム画面6

育った馬はレースに出走。馬の脚質に合わせ、抑えとムチボタンを使ってレースをこなしていきます。キャリアを積んでいくと馬の能力がアップ。歳を経て引退した馬は種牡馬とすることができ、子供・孫と代を重ねていくとさらに能力が伸びていくようになります。人気は徐々に加熱し、500円払えば30分は軽く楽しめると考えるとビデオゲームより現実的なコストから、主にサラリーマン層を中心に支持をあつめ、翌年6月に『ダービーオーナーズクラブ2000』が発売されてシリーズ化されることになったり、風の噂ではダービーオーナーズクラブ専門店もあったとかなかったとか…
このゲームの登場により、ビデオゲームは一気に弱体化。そしてビデオゲームが無い、ダービー、プリクラ、クレーンゲーム。時々音ゲーのゲーセンが出てきて、当時のビデオゲーマーは煮え湯を飲まされました。
しかし、こんなダービーオーナーズクラブバブルは意外な形で今我々を苦しめています。
汎用筐体でもがんばれば稼働できるタイトルを、わざわざ専用筐体化。あるいは大型化。つまり、ゲーム機が高すぎる、という問題を産んでしまいました。たしかダービーオーナーズクラブは受注生産だかで中古でもフルセット1グループ何百万…だったかなぁ。
大型筐台ゲームを、しかもこれは成功したほうだからいいけど、2002年くらいから暫く暗黒時代が続いたから、ハズレ商品引けば半年しないうちにインカムがなくなるのに、資産扱いで税金だけとられ続ける、という負の連鎖で閉店する店もありました。今でも何か新しいゲームが出ると特にセガとバンナムは専用筐体セット売りですからね…。
かなりのタイトルが汎用筐体で安いモデルで動かせると思うんだけど…電車でGO!とかもあまりよくないですし…
マジシャンズデッドはスト5に交換だったからあれはまぁいいや。
とまぁ、ちょっとした罪も、このゲームは産んでしまいました。そしてその罪は今もなお続いております。


せりすけポイント

アーケードゲームとは無縁だった層までもゲームセンターに呼び寄せたほどの影響力は、プリクラや音楽ゲームにもなかったような気がします。それでいて長期稼働を維持という、オペレーターも経営者も、プレイヤーも認める超優良機種の立場は他の追随を許さず、ブームが終わるころにMJにコンバートされたので、立つ鳥跡を濁さず終わり。このおはようからおやすみまでの綺麗な流れこそが、人気の高さを証明していたのかもしれません。その後、ゲームセンターはオンラインゲームを積極的に取り入れる時代に変化していくわけでして…
ということでこのダービーオーナーズクラブは、後のゲームセンターに良くも悪くも多大な影響を残した作品として、アーケードの歴史に名を遺すでしょう。


ここで一旦、最終回です。

さて、欠番を一個産んでしまう失態をしてしまいましたが、無事に200回を迎える事が出来ました。
これもひとえに読んでてくださった皆様が居てくれたことと、協力してくれたDS.T君の協力の2つの他ありません!
「せりすけフリーク」はまだまだ続きますが、ここで一回充電期間として、しばらくお休みをさせていただければと思います。
ちょっとページも縦に長くなってしまったので、一回整理したいと考えてます。
その整理が終わりましたら、また再開いたしますので、
ちょっとの間お待ちくださいませ。


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